「黒ワインのWINE手帖」~人とワインのものがたり~

あなたがワインショップに足を運んだとき、その圧倒的な品揃えと、ずらりと並ぶボトルが織りなす光景に、途方もない広がりを感じて圧倒された経験はないでしょうか。私もワインに親しみを持つ前は、お店に入っても「一体どれを選んだらいいんだろう……」と戸惑うばかりだったことを覚えています。
しかも今や、フランスやイタリアなどの昔からの産地ばかりではなく、南アフリカやジョージアといった新しい地域からのワインも日本に届き、世界中のワインが私たちの手の届く場所にあふれています。ソムリエとしてワインの知識を深めた後でさえ、ワインショップの棚の前に立つことは、まるで大きな本屋のフロアを彷徨うときのような、知的なワクワクと小さな緊張感を伴います。未知の生産者、聞き慣れない土地の名前、そして何より、まだ見ぬ味わいとの出会いがそこには眠っています。
――だが、そう頭では分かっていながらも、結局はいつも買い慣れている定番の品種や、お気に入りの銘柄の前に手が伸びてしまう。そんな「予定調和」の自分に苦笑してしまう夜もまた、ワイン好きの日常の風景です。
私たちが「新しいワイン」に出会うとき、それは単に味覚の幅を広げるためだけではありません。それは、凝り固まった日常や思考をふと解きほぐすための、自分への小さな処方箋なのだと思います。
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思い返せば、かつて僕が毎晩のように通っていた場所があります。
夜中の3時まで開いている、とある小さなダイニングバー。仕事帰りの深夜12時過ぎ、家路の途中にあるその店の前を通ると、窓越しに見えるカウンターの灯りが妙に温かくて、ついつい足を踏み入れてしまう。
その時間は、決まって同じ顔ぶれの常連たちがそれぞれの特等席に陣取っていました。
店員よりも多く店に来ていると言われていた、定年間際のおじいさん。いつだって明るい笑い声を響かせ、周囲の空気をパッと華やかにする美人姉妹。広告代理店で働いていて、自分が手がけた有名なキャッチコピーを誇らしく、かつ楽しそうに語る男性。少しばかりヤンキーっぽさはあるけれど、家族で訪れては大声で笑い、明日への英気を養って帰っていく男性。そして、店に来る男性とすぐに意気投合しては一緒にグラスを傾ける若い女の子……。今思えば、そこは実にバラエティに富んだ空間でした。
初めてその店に足を踏み入れた頃の僕は、すぐにその輪に入れたわけではありません。端っこの席で1人、ただ黙々とグラスのワインを傾けるだけ。店員と言葉を交わすようになるまでにも1、2ヶ月はかかったはずです。
当時の僕にとって、あの場所でワインを飲むことは、社交のためでも、ワインのテイスティングをするためでもありませんでした。それは、日中のざわついた頭やトゲトゲした感情をしずめるための、いわば「瞑想の道具」。周りの喧騒をBGMにしながら、ただワインを喉に滑らせ、美味しい食事と合わせて1日のスイッチをオフにしていく。
静かに夜を重ねるうち、少しずつ常連さんたちとも言葉を交わすようになりました。やがてその店ならではの「事件」が起きます。
時々、常連の誰かが「今日はみんなでこれを開けようよ!」と、1本のワインをセラーから持ってくるのです。
もちろん、その人が選んだワインなのだから、僕が普段の自分の好みで選ぶようなタイプとは限りません。「自分だったら絶対に買わないだろうな」という産地や味わいであることの方がむしろ多かったです。
しかし、その「予想外の1本」をみんなで囲みながら飲むと、不思議と最高に美味しい。「あ、このワイン、こんな香りがするんだ」「こういう味わいもアリだな」という小さな驚きが、静まり返っていた自分の世界をふわりと広げてくれました。
先日、久しぶりに友人と訪れた小料理屋でも似たような体験をしました。普段の1人飲みであれば自分の定番を選ぶところを、その日は友人が「これにします!」と、ルーマニアのワインを選んでくれました。飲んでみれば、驚くほどまろやかで、自分一人では絶対にたどり着けなかった味わいに出会うことができました。
ワインという飲み物は、時にこうした「ちょっとした冒険」を連れてきてくれるから面白いのです。
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思えば、まだ僕がソムリエの資格を取る前、ワインの勉強をしていた頃も、まさにこうした「小さな冒険」を自分で楽しんでいました。
街の酒屋に足を運ぶと、そこには名前も知らないワインが山のように並んでいました。僕の場合は「イタリアワイン縛り」という小さなルールを自分に課していたのですが、その縛りの中でも、聞いたこともない地方のワインを選んでみたり、見慣れない土着品種のボトルを手に取ってみたりしていました。
フランスのシャルドネやカベルネ・ソーヴィニヨンといった誰もが知るメジャーな品種とは違い、イタリアには数え切れないほどのユニークな土着品種があります。
未知のワインのラベルを眺めながら「これはいったいどんな味がするんだろう」と想像しながらセラーをまわるだけで、1時間以上もいられたものです。
今思い返しても印象に残っているのは、オッキピンティというシチリアの造り手が手がけていた、「SP68」といった名前のワイン。「イチゴのフレーバーがする」という酒屋店員のコメントに惹かれて買ってみたところ、グラスから本当に鮮烈なストロベリーの香りが立ち上ってきて、「世の中にはこんなワインがあるのか!」と心底驚かされました。抜栓後もしばらく味わいが濃厚で、その1本のボトルを開けるのに数日間かかったりしたことも覚えています。あの手探りで面白いボトルと格闘した時間そのものが、ワインの楽しさを何倍にも広げてくれた気がします。
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では、これを皆様が自分で飲むためのワイン選びに置き換えてみましょうか。誰かに贈るためでもなく、パーティーを盛り上げるためでもない。今宵、自分自身のために開ける1本のワインを選ぶとき、私たちはどうやってその「予定調和」を抜け出せばいいのでしょうか。
現代はネットを開けば、膨大な情報やレコメンド機能が「あなたにはこれがおすすめですよ」と親切に教えてくれます。それは便利な反面、本屋で偶然出会う一冊のような、「予期せぬ化学反応」を遠ざけてしまうところがあります。
そして、もしあなたがワインショップに足を運んだのなら、ついやりがちな「店員さんに好みを伝えて選んでもらう」という優等生的なアプローチも、あえてこの夜は封印してみてほしい。プロに頼れば外すことはありませんが、それでは「誰かに用意された答え」をなぞるだけで終わってしまいます。
では、どうするか。
私たちは経験を重ねるにつれて、ついつい頭で考えてワインを選んでしまうようになります。「この産地だから間違いない」「この品種なら自分の好みだ」と、知識が盾になり、安心安全な選択ばかりを繰り返してしまう。
だからこそ、あえてかつての自分――ワインの知識や情報なんてほとんど持っていなかった頃、ただ目の前の一本にワクワクしていたあの頃の自分に帰ってみてほしいのです。
答えはシンプルです。
あえて「ワインの情報を視界からシャットアウトする」こと。
いつものように「この品種」「この産地」と、ラベルの裏書きや品種名が書かれたポップを熟読するのをやめてみる。その代わりに見るべきは、ボトルの形や、エチケット(ラベル)デザイン。あるいはそこに添えられたショップ店員の手書きのポップ。
「なんだかこのイラストの雰囲気が気になるな」「いつもは重厚な赤ばかりだから、今日はこの軽やかな色合いのボトルに惹かれるな」
そんな、理屈じゃない直感だけで1本を引っ張り出してみる。品種の文字を見ない。ウンチクを調べない。何も知らなかったあの頃のように、ただ自分の「今日の気分」という名の純粋なフィルターだけで、ジャケット買いのようにボトルをカゴに入れてしまいましょう。
家に戻り、コルクを抜く。
グラスに注がれた液体を口に含んだとき、「こういう味だったのか」と軽い驚きがあるかもしれません。あるいは、予想の斜め上を行く味わいに少し面食らうかもしれない。
けれど、その予定調和ではない体験こそが、あの深夜のダイニングバーで常連さんが差し入れてくれたワインのように、そしてかつて酒屋の棚の前でワクワクしながら未知の土着品種を選んでいたあの頃のように、凝り固まった私たちの日常に風穴を開けてくれることと思います。
知識や理屈に頼るのを少しだけやめて、自分の直感という名のフィルターでワインショップの棚に手を伸ばしてみる。今夜は、そんな小さな冒険を自分にプレゼントしてみてはいかがでしょうか。
皆様に、素晴らしいワインライフを。



