「黒ワインのWINE手帖」~人とワインのものがたり~

教授のドイツワインが教えてくれた、人生の真実 | 黒ワインのWINE手帖

教授のドイツワインが教えてくれた、人生の真実 | 黒ワインのWINE手帖

黒ワインと申します。
銀座やみなとみらいなどの、数多くのお客様に愛されたレストランでソムリエとして働いた経験から、ワインにまつわる人間模様をこれまで書いてきました。

この連載では、知識や格付けだけでは語れない、一杯のグラスが彩った人生の機微を綴っていきます。渋谷の喧騒の奥に佇む「THE WINE」のように、日常から一歩離れた、静かで豊かなひとときをお届けできれば幸いです。

2026.07.06

レストランで働いていると、ワインが人の様々な場面に寄り添っていることを目にします。
部下の栄転、友人の結婚祝い、何十年と連れ添った夫婦の結婚記念日。

人はなぜ、人生の転機にワインを選ぶのでしょうか。

ソムリエをやっていたと話すと、「きっと昔からワインがお好きだったんですね」と必ず言われるのですが、実は僕が深くお酒の世界にのめり込んだのは、ワインよりもウイスキーやカクテルが先でした。学生のころは、夜な夜なバーのメニューを端から注文していくような、アルコールそのものの刺激と、カウンター越しに交わされる大人たちの会話にただただ没頭する、そんな飲み方をしていました。

そんな僕が、後のソムリエ人生の背骨となるようなドイツワインと出会ったのは、大学のゼミ教授の自宅でのことでした。

僕が所属していたゼミは「経営史」を扱い、アメリカの巨大企業の盛衰を論じるという、当時の学生にとってはあまり人気のないテーマでした。僕がそのゼミを選んだのは、教授がひねくれものの爺さんだったからです。講義中も淡々と、やる気のない学生を見透かすように、自分の美学を貫く人でした。独特の語り口で興味のない学生まで惹きつけるベテラン教授や、激しい熱意を伝える若い講師がいる中で、その教授は「必修だから仕方なく受けている」という学生の気持ちなどお見通しだと言わんばかりに、淡々と講義を続けていく。そのスタイルが、妙に印象的でした。

ちなみにそのゼミは人気がなかったせいで、他大学からの編入生や留学生など、様々なバックグラウンドを持つ学生が集まる場所になっていました。発表の内容や質疑応答では、自分一人では決して思いつかなかったような多角的な視点の話が飛び交い、今思えばとても贅沢な空間だったと思います。
僕はそのゼミで優等生として振る舞い、卒業に必要な単位もほとんど取り終えていました。今思えば狭い世界での満足に過ぎませんが、自分でもよくできた学生だという自負もあったのです。

ある日、その教授が退官を控えたタイミングで、僕ともう数人の学生を自宅に招いてくれました。場所は大宰府近くの一軒家。静かな環境で、奥様が温かく招き入れてくれたのを覚えています。

「黒ワイン君もお酒が好きなんだろう。僕もね、ドイツワインは昔から好きで。こうやって自宅に配送してもらっているんだよ」

教授が自ら開けてくれたのは、すらりとした美しい曲線のボトルに入ったドイツのリースリング。グラスに注がれたそれは、淡く、澄んだ輝きを放っていました。レモンやライムのような柔らかい香りをまとったその一杯は、ワインを飲み慣れていなかった僕の喉をも、驚くほど素直に通っていきました。
しかし、宴がたけなわとなり、酔いが回って上機嫌になった教授が投げかけた言葉は、残酷なほど鋭いものでした。

「君は、なんでもできるよねぇ。でも、なんでもできるからこそ『器用貧乏』になってしまう。何事も中途半端に終わってしまうんだ」

部活も学業も、なんとなく器用にこなしてきた僕には、その指摘はあまりに痛烈でした。「何か一つに、一生懸命打ち込んでみなさい。その時初めて見えるものがあるから」。そう言い残し、教授はこう教えてくれました。

「壁にぶち当たったときに思い出してほしい言葉がある。『脚下の泉』だ。自分の立っている、まさにその足元の泉を掘るんだ。そこからこそ、真実は湧き出てくるものだよ」

大学を卒業し、僕はソムリエの見習いとしてレストランの世界に飛び込みました。

そこは、華やかなワインのイメージとは程遠い、過酷な現実の連続でした。理不尽な上下関係、安い給料、そして終わりなき重労働。
毎日、一人でトイレや床を懸命に磨き、ボトルに数滴だけ残ったワインを小さなグラスに注ぎ分け、その香りと味を記憶に焼き付ける。終業後、深夜のカフェで安いコーヒーを片手に、分厚い専門書を読み漁る日々。
ふと窓の外を見れば、同世代の友人たちが華やかな都会の夜を謳歌している姿が重なり、自分は一体何をしているのだろうと、暗闇の中で自問自答することもありました。大学の同期が華やかなビジネスの最前線で活躍する姿がFacebookを通じて流れてくるたび、その対比に胸が締め付けられる思いでした。

そんなとき、僕の脳裏にはいつもあの日のワインボトルが浮かびました。
美しく澄んだ、あのすらりとしたドイツワイン。自分が今置かれている泥臭い現状と、グラスの中の気品ある液体。そのあまりの乖離に溜息をつく夜もありましたが、そのたびに「脚下の泉」という言葉を繰り返すように思い出しました。

他の誰かと比べるのではなく、今自分が立っているこの厳しい環境こそが、自分の泉なのだと信じるしかなかったのです。どんなに辛い環境でも諦めずに、それを見習いからソムリエとしてやり続けてきたからこそ、今の僕は、ワインという液体の中に、あの日教授が注いでくれたような物語を乗せられるようになったのだと思います。

ドイツワインの、あの上品な曲線を見るたびに、僕は今でも人の本質を見抜いていたあの日の教授の姿と、自分の足元をただひたすら掘り続けたあの長い夜を思い出します。
ワインを学ぶこと。それは単に銘柄や産地を暗記することではありません。
目の前にある一杯のワインを通じ、今の自分の立ち位置を見つめ直し、そこから湧き出る自分だけの物語を掘り起こしていく作業のことだと、僕は思います。

どうか皆様も、今夜グラスに注いだワインをただの飲み物としてではなく、これまでの苦労や喜びを映し出す鏡として向き合ってみてください。
そこに浮かぶのは、きっと明日を生きるための小さな発見ではないでしょうか。

皆様のグラスに注がれたそのワインにも、美味しさを超えた、あなただけの物語が溶け込んでいきながら、それがまた誰かの物語の始まりになることを願っています。
皆様に、素晴らしいワインライフを。

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この記事を書いた人

黒ワイン(くろわいん)
黒ワイン(くろわいん)

日本ソムリエ協会認定ソムリエ。イタリアワインが得意。銀座やみなとみらいなどのレストランでの接客経験や自身のワインライフから、ワインにまつわる人間模様を綴る。

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