「黒ワインのWINE手帖」~人とワインのものがたり~


この物語に合う1本〈コル ドルチャ〉ピノ グリージョ 2024
(イタリア/白ワイン/750ml)〈税込〉3,630円
どのワインを、どの料理に合わせるか。
「マリアージュ」とも呼ばれる、料理とワインの最高のペアリングを探すのは、ベテランのソムリエにとっても難しい命題です。相性というものは驚くほど主観的で、その人が何を強調したいのか、どんな物語を表現したいのかによって、表情をがらりと変えてしまうからです。
友人を招くとき、パーティーに呼ばれたとき、あるいは大切な方の家を訪れるとき――。どんなワインを選べばいいのかと迷うことはありませんか。今回はそんなシチュエーションを想定しつつ、僕が大切にしている「記憶の中の最高のマリアージュ」のお話をさせてください。
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若き見習いソムリエだった頃、僕は知識や経験のなさに毎日焦るばかりでした。お客様からの相談には先輩の助けが必要で、常連の方からワインの話を振られても、ただ相槌を打つことしかできない。そんな不甲斐ない日々を過ごしていました。
当時僕は、イタリアンレストランに勤めていました。イタリア料理には「これ」といった集約された正解がありません。20ある州ごとに食文化は異なり、例えばマルゲリータとボロネーゼでは、場所も違えば流れる空気もまるで違います。日本で言えば宮崎と長野くらいの差があるのです。
料理が違えば、適したワインも全く異なる。その本質を学ぶため、僕は同じ店で働く先輩と「勉強会」を始めました。先輩とは言っても彼もまた料理人の見習いで、僕と同じように研鑽を積む立場でした。
毎月一万円を出し合い、彼が自宅で料理を振る舞い、僕がワインを選ぶ。彼と奥様、そして僕とパートナー。四人で囲むささやかな食卓です。
店では最先端の料理を扱う二人でしたが、勉強会ではあえてイタリアの地方料理に挑みました。彼はレシピに没頭し、僕はその土地の品種を調べ上げる。前菜からデザートまで、レストランでの勤務の合間を縫って、彼は全身全霊で準備をしてくれていました。
今思えば、その勉強会から生まれたアイデアが、店のメニュー開発のヒントになったこともありました。地方料理を再構築し、現代風に仕上げる。あの時間は、僕たちにとって最高に刺激的な鍛錬の場だったと思います。
その最終回を迎えたのは、僕が店を辞める決意をした時でした。突然の退職の相談です。
シェフや周囲を困惑させた僕に、彼は身勝手な振る舞いを諭すように、一人の人間として真っ直ぐにアドバイスをくれました。
「黒ワイン君の気持ちも分かる。でも、まだまだこの店で学べることはあると思う。一緒にやってきたからこそ、今の君のまっすぐな気持ちを尊重したいけれど、もう少し踏みとどまってみないか」
結局僕は辞めることを決意したわけですが、仕事終わり、深夜になってへとへとに疲れた体でもそうやって向き合ってくれた先輩は、きっと僕のことを本気で心配して考えに考えてアドバイスをくれたのでしょう。その言葉は、今も胸に深く残っています。
そんな僕たちの最後の勉強会。いつものように前菜から皆で楽しみます。
その日のパスタ料理は、シチリアの伝統料理「イワシとウイキョウのパスタ」でした。
決して派手ではありません。イワシの力強い旨味と、ウイキョウの爽やかな香りが重なる、シンプルで素朴な一皿。僕はそこに、シチリアの固有品種「カタラット」をメインにした、気取らないテーブルワインを合わせました。それは値段も高いわけではなく、現地では日々の食卓で広く楽しまれているものでした。
一口飲んだ瞬間、その場にいた全員が息を呑みました。イワシの苦味とウイキョウの香りが、ワインの酸と果実味と混ざり合い、それまで経験したことのない完璧な調和が生まれたのです。パスタを食べればワインが欲しくなり、ワインを飲めばパスタが恋しくなる。
まさに、料理とワインが「マリアージュ(結婚)」した瞬間でした。
あの美味しさと感動は、なぜ生まれたのかと思い返すことがあります。
若さゆえにがむしゃらだった日々、追いつけない先輩たちへの焦り、そして別れの予感。そうした複雑な感情が、あの食卓には渦巻いていました。
けれど、ひたむきで不器用な先輩が作るまっすぐな料理だったからこそ、シチリアの風をあの食卓に運べたのだと思います。シチリアの大地が持つ雄大さと彼の人間性が重なったからこそ、そこにその土地のワインが呼応した。そこに二人の抱えていた情熱、友情、不安、そして未来。そういったすべてが一体となって完成した、奇跡の一皿のように今でも感じています。
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ワインは人間が造るものです。学べば学ぶほど、知識の先にある「人の心」に触れる機会が増えていきます。
あの日のパスタとワインの調和は、食材や銘柄だけで生まれたものではありません。彼への感謝や、当時の僕たちを取り巻く繊細な心の揺れ、その全てが「最高のマリアージュ」という名の記憶を完成させたのだと思います。
今でもシチリアワインのコルクを抜くとき、あの日の窓から差し込む明かりと、イワシの香りがふっと脳裏をよぎるのです。
誰かにワインを贈るとき、有名な銘柄や高級品を選ぶのも素敵です。ですが、もしそのワインを届ける方の故郷や、大切にしている思い出を聞いたことがあるのなら、ぜひその場所に似た土地のワインを選んでみてください。
「なぜこのワインを選んだかというと……」
相手の背景や歴史に想いを馳せて選んだ一本は、ただの飲み物ではなく、時間や場所を超えるギフトになります。ワインを飲むということは、その時の思い出や、共に過ごした人の想いを味わうことにもつながるのです。
皆様のグラスにも、いつまでも色褪せない記憶が注がれますように。
皆様に、素晴らしいワインライフを。


