「黒ワインのWINE手帖」~人とワインのものがたり~

「あなたとはきれいな色のワインが飲みたかったの」
僕がまだ学生だったころ、年上の女性からそんなセリフを言われたことがあります。
はっきりとは覚えていませんが、たぶんそのワインはブルゴーニュ・ルージュ。高価なものでも珍しいものでもない、どこにでも売っているようなワインです。
ですが、二十年経った今でも、その言葉と儚いルビーのような色合いはずっと記憶に残っています。
今回は、そのエピソードと共に、ワインを贈る際にはこんなセレクトの仕方もあるということをぜひ知っていただけたらと思い、筆を進めることにしました。
☆
当時22歳、場所は福岡。季節は秋でした。
大学の単位も十分で、卒業まで週に数回だけ授業に出ていればよかった僕は、少しでも大学の外に出ようとしていました。
6月から始めたバー通いもその一つでした。
生意気なものですが、その頃はメニューにあるカクテルを上から順に飲んでいき、それが終わるとバックバーにあるウイスキーにも手を伸ばし……という具合に、文字通り目につくお酒をすべて飲んでみようという意気込みで通っていました。
ちなみに、僕は今ではソムリエの資格も持ってはいますが、そこではワインはほとんど飲んでいません。あっても1、2回じゃないかと思います。
僕でなくとも、ワイン専門のバーでもないそのお店でワインを飲んでいる客というのは、ほとんどいなかったように思います。
歓楽街の近く、少し奥まった場所にあるバー。
学生の身分でそんないかがわしい土地に飲みに来ていた僕が言うのもなんですが、変わったお客様が多いお店でした。
たとえば、12時に一人で現れて、黙ってシャンパーニュを1本空けて帰る女の人。
店のホステスを数人引き連れて怒涛のように酒を飲ませて、気がついたらいなくなっているスナックのママ。
「あら、今日は若い男の子がいるじゃない」と僕にからむだけからんだ後に、会計を全部払っていった飲食店の女性オーナー。
静かな日もあれば、お祭りのような夜もある、刺激的なお店でした。
そして、その中にこんな話し方をする女性がいました。
「野尻さん(バーテンダーの名前)のコート・ダジュールが飲みたいわ」
「このコート・ダジュールは、他の店のとは『青』がちがうのよ」
年齢にして30代後半。ショートヘア。特別おしゃれをしているようには見えないけれど、どこか洒脱な感じがあって、それでいて気さくな雰囲気の人です。
話し始めると何時間も話の続く人でした。会話の一つ一つに「意思」を込めているというのでしょうか、その人と話していると「自分がこの世界の主人公」だと思えるくらい、どんな話題でも真摯に向き合って話してくれるんです。
彼女はいつかこんなふうに言っていました。
「私は相手から受け取ったものをそのまま伝えているだけ。自分から発信しているものはほとんどないの。あなたがそう思ったのならそれはあなたから発されているものなのよ」
そのバーで出会ってから1か月半ほど経ったある日。
特に連絡先を交換することもなく、お店で会えばなんとなく会話をし、だいたい朝方まで飲んで別れることを何回か繰り返していたころです。彼女から食事に誘われました。
バーのマスターが「君ら、待ち合わせ?」と言うくらい、お互いが店に来る日、時間が同じだったんですね。「何かご縁があるのかと思って。一回くらい食事にでも行きませんか」と彼女は言いました。
そうやって少しずつお互いの話をするようになりました。と、言ってもほとんどは、彼女が質問をする側、僕が答える側、だったと思います。
彼女は、とあるブランドショップのスタッフとして、接客の仕事をしていました。
僕は実家が美容室で、小さいころから店のタオルを洗ったり、従業員にかわいがってもらったりしていたことで、接客の世界には興味があったので「もし迷惑でなければ」とそのお店に見学に行かせてもらったこともありました。
店長をはじめ、他のスタッフの方も僕を歓迎してくれて、おうちに食事に誘われたこともありました。大人になる前に、素敵な社会人たちと出会えた、かけがえのない経験です。
さて、そんな出来事を繰り返していたある日、その女性から「明るい時間にあなたとワインが飲みたい、家に行ってもいいか」という誘いがありました。
僕は特に考えなしに、いいですよ、と返答したように思います。
「でも僕の部屋に来ても何もないですよ」
「何もなくていいのよ。ワインが飲みたいだけだから」
約束した日の昼さがり。14時くらいだったんじゃないかと思います。彼女は一人暮らしの僕の部屋に入ると、ワインのボトルと、小さな円柱形のグラスを2つ、取り出しました。
「私ね、ワインなんて全然くわしくないんだけれど、あなたとはきれいな色のワインが飲みたかったの。だからワインショップの店員さんに『きれいな色のワインください』なんて言っちゃったわ。店員さんも最初はそりゃ驚いてたけど、ちゃんと探してくれてね、それがこのワイン。あなたにはきれいな色のワインが似合うと思って。」
ワインを飲みながら、いつもと同じように彼女が質問をする、僕が答える、ということを繰り返していました。
そのうち、僕が泣き出したんですね。彼女も泣いていたような記憶があります。
なんででしょう、きっと僕は、これから迎える社会人生活への不安があったのかもしれません。
ちょうど僕の部屋に、西日が差し込む時間でした。
日が傾き始めると、グラスに注がれたワインの色がそれにあわせて変わっていくんですね。
生活に必要なもの以外特に何もない部屋に差し込んだ茜色は、鮮やかな赤ワインの色と相まって、より美しく見えました。
「きっとあなたは大丈夫」
そう言葉をかけられて、注がれたワインを飲むうちに、心が落ち着いていったのを覚えています。
☆
ワインというのは、贈り物として適した物の一つだと思います。
そこには歴史があり、豊かな風味があり、嗜好品として申し分なく、美味しい1本を贈るだけでもとても喜ばれるものです。
「高価なものがいいかな」、「フランス、いやイタリアのものがいいかな」、……ワインを選ぶ尺度は色々とありますが、その一つにぜひ「色彩」も加えてみてはいかがでしょうか。
僕もこれまでの短い人生の中で、大きな失敗や辛い経験をしてきました。
それでも自暴自棄になることなく、前を向いて生きようと思うことができたのは、あの時のワインの美しさに感じたものがあったからだと思うことがあります。
「きれいな色のワインが似合う」と言ってもらえたことに、恥じないようにと思えるからでしょうか。
皆様のワインの贈り物も、届けられた方の心の片隅にずっと残り続けて、その人の人生を彩るものになることを願っています。
皆様に楽しいワインライフを。


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